すこし久しぶりに小説を読んだこと
ショッピングセンターの、いつもは軽いウィンドウショッピングで済ませてしまう本屋も、機内で読む本が必要なときには、いつもと違う役割を果たすことになる。
旅行前に訪れた本屋で、村上春樹さんの新作文庫を見つけ、上下巻とも購入する。
村上春樹 著. 街とその不確かな壁 下巻, 新潮社, 2025.5, (新潮文庫 ; む-5-47). 978-4-10-100179-1. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I034037330
小説、物語を読むのはすこし久しぶりで、(本来そんな必要もないのだが)警戒しながら読み始めてみたところ、次のページが気になって仕方ない。
タイトルにもある通り、作中で主人公は「壁に囲まれた街」に迷い込むことになる。壁に囲まれた街ということでなんとなく進撃の巨人の舞台を彷彿とさせる。
実際、本書を読み進めるにあたって、街の叙述によって私が頭の中に描き出すイメージは、進撃の巨人のそれである。ウォール何某に囲まれた世界のイメージを抱いてしまうのが適当な読書体験なのかはさておき、こうしたファンタジー的な世界観も、村上小説には度々出てくるよなあ、と懐かしい気持ちになる。
本書では、現実には存在しないようなファンタジー要素と対比するように、まざまざとした現実世界も描かれることとなる。恋人と文通をする筆記具、駅前のコーヒーショップで提供されるブルーベリーマフィン、ロシア5人組のあと一人が思い出せないこと、こうしたディテールがウィットに富んでいるのはいつもの通りである。
下巻に登場する少年がいる。この少年は「生年月日を聞くとその曜日が瞬時にわかる」という能力を持っている。曜日を言い当てられた女性が携帯を使ってその真偽を確かめる(実際に合っていた)シーンで、主人公は考えを巡らせる。
...少年が計算を間違えるわけがないのだ。確認するまでもない。しかし自分の誕生日が何曜日だったのか、グーグルを使って調べれば、今では十秒もかからず誰にでも簡単にわかってしまうのだ。少年はそれをたった一秒で言い当てることができるわけだが、西部劇のガンファイトではあるまいし、十秒と一秒との間にどれほどの実利的な差があるだろう?私は少年のために、少しばかり淋しく思った。この世界は日々便利に、そして非ロマンティックな場所になっていく。
車があり、インターネットがあり、AIがあり、日進月歩で便利になる(できなかったことができるようになる)世界でふと感じる空しさを私自身感じることがある。「非ロマンティック」という表現は、なんとも痒いところに手が届く表現だと感じる。
なるほどたしかに「それはロマンティックじゃないから便利にするのはやめましょう」とはならないし、便利になることへの圧力は高い社会なので革新的なモノにはお金も注目も集まる。ただ、引き換えに感じる寂しさや空しさもたしかに存在する気がする。
逆にロマンティックと便利が共存する瞬間があるのだろうかと考えてみる。。。なくはない気もするが、やはり両者は近い概念でもないのだろうなと思う。もっとも、両者はともに感動をもたらすモノである。という点は類似しているような。
A地点から100m先のB地点まで人間の体でもって9秒台で移動してみたり、 図書館で試験勉強をしていて休憩中になんとなく出会った本であったり、 ロープウェイを使わずに登山道を歩いてみたり、 紙とペンをもってコツコツ計算して得られた結果であったり、、
作者自身によるあとがきに本書が完成に至るまでの経緯が書いてある。物語自体は1980年代に構想されたものであり、それを2020年になり加筆して完成させたのだという。
という事実を知ると、xx年もののワインではないが、年月を経て熟成されたエッセンスが急に知覚されるのでなんとも不思議なものである。
