物事を始めること
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AI時代にひとりの人間が何をできるだろうかと悩むことがある。
現時点では、なんとかギリギリAIが生成したモノを解釈できているように思えるが、きっともう少ししたら、ニンゲンでは解釈不能な生成物に溢れるような感じもする。
そんな時代で、わたしの如き存在が思考し、アウトプットしたことなど、二番煎じどころか一億番煎じでも足りないくらいかもしれない。
と思うと同時に、どんなに薄まっても味がするならばそれでも意味があるかもしれないと、思うこともある。
歴史を勉強するとは自分自身を知ることである、と聞いたことがある。
イマイチピンとこないことばだと思っていたのだが、当たり前に考えていることも、時代や背景が変われば全く当たり前ではないと、生きている時間が長くなるほどそう思うことが増えてきた。
この差異がどうして生まれるのだろうと考えをめぐらせてみると、生まれ育った土地の慣習や受けてきた教育、出会った人といったことに大きな影響を受けている可能性に辿り着く。
そう考えると、わたし自身が歴史的な積み上げによる成果物と見なせそうだし、わたし自身にもいろんなエッセンスが発見できるのではないか、そして発見のためにはとにかく書いてみることだろうと、そういうふうに思った。
熱いお湯で、熱くなくともぬるま湯でじんわりとでも煮出してみると、なにか抽出されるのではないかと、そんなことをやや熱い湯に浸かりながら考えているのである🛀
